映画『マエストロ: その音楽と愛と』
『マエストロ: その音楽と愛と』の類似作品は、
是枝監督の『真実』とか、カズオ・イシグロの『日の名残り』のような気がする。 家族の良い所と悪いところ。
信頼できない語り手から出てくるストーリーと、それを超えて真実を伝えてくるキャリー・マリガンの演技がとても良かった。
VOGUEのキャリー・マリガンのインタビューが核心を突きすぎてる。
「彼女にとっては、裏切りとはセックスではありませんでした。彼のために自分が占めてきた場所、“自分こそ彼を理解し、必要とされる人である”という立場にほかの人が割って入ったときに、裏切られたと感じたんです」
ほんとそれ
ブラッドリー・クーパー監督作品は、『アリー/ スター誕生』がすごく好きなんだが、
『アーティスティックで周りに迷惑かけ続ける男』と『そのそばに居るめっちゃ等身大の女』のテーマが好きみたいで意外。
他の作品だとこの『そばに居る女』がめっちゃ美化されるか悲観されて描かれてそうなのに、なぜかブラッドリー・クーパーはその女を幻想化せずに、『ちゃんとしたリアルな人間』として描くとこが特徴的だと思う。
『君たちはどう生きるか』は『くるみ割り人形』だった話。(解説/考察)
※この記事には『くるみ割り人形』の類似性にのみ言及し、吉野源三郎先生の同名小説には全く言及していません。
※この記事は『君たちはどう生きるか』と『くるみ割り人形』のネタバレを含みます。
- 『君たちはどう生きるか』を観に行ったら、『くるみ割り人形』だった話。
- 三鷹の森ジブリ美術館企画展示「クルミわり人形とネズミの王さま展」について。
- くるみ割り人形(くるみ割り人形とねずみの王様The Nutcracker and the Mouse King)について。
- 『君たちはどう生きるか』と『くるみ割り人形』のストーリー・シーンの類似点について。
『君たちはどう生きるか』を観に行ったら、『くるみ割り人形』だった話。
私は出不精なので、公開4か月後になっても『君たちはどう生きるか(THE BOY AND THE HERON)』を観ていませんでしたが、最近公開された英語版予告編を観て、「これは『くるみ割り人形』だ!」と感じたため、観に行きました。
で結果、「本当に『君たちはどう生きるか』は、宮崎駿版『くるみ割り人形』」だった。という話です。
観る前に周囲の友人から聞いていた評判で共通するのは、
- 難解で
- 現実と非現実の境目がよくわからない。
というものでした。
そしてこれは、『くるみ割り人形』をベースにしていると思うと、とても的確な表現だなと思います。
三鷹の森ジブリ美術館企画展示「クルミわり人形とネズミの王さま展」について。
2014年、宮崎駿監督“引退後”の初仕事として注目を浴びたのが、三鷹の森ジブリ美術館企画展示「クルミわり人形とネズミの王さま展」でした。
AERA 2014年8月11日増大号の表紙にもなり、こちらにも詳しいことが載っているのだけれど、残念ながらこちらは現在は販売されていません。宮崎駿監督の「『くるみ割り人形』の正直な感想」というページは重要だと思うので、そこだけここに載せます。
ちょっとワラワラっぽい子も居ますね。
そして三鷹の森ジブリ美術館のHPにも『くるみ割り人形』についてこう書いてあります。www.ghibli-museum.jp
"現実"と"幻想"が重なりあい、その境界が曖昧なままストーリーが進んでいきます。
これは友人達の『君たちはどう生きるか』の感想と一緒ですね。
『君たちはどう生きるか』を『不思議の国のアリス』だと感じた人も居るかもしれませんが、どちらかというと『不思議の国のアリス』には、「ここから幻想でここから現実です」という線引きがあるため、『不思議の国のアリス』的なのは『千と千尋』だと思います。
『くるみ割り人形』は、そのような線引きが無いのが特徴です。
くるみ割り人形(くるみ割り人形とねずみの王様The Nutcracker and the Mouse King)について。
そもそも『くるみ割り人形』とはどのような作品なのか。
『くるみ割り人形』はチャイコフスキーのバレエで有名ですが、これは実は別小説をアレクサンドル・デュマ*1が編集したものを元にしており、
元々は、ドイツの作家、E.T.A.ホフマンが書いた『くるみ割り人形とねずみの王様』という児童小説です。
E.T.A.ホフマンが書いた『くるみ割り人形とねずみの王様』は難解だったため、デュマがわかりやすくエンタメっぽく編集したものがバレエに採用されたという形になります。
ホフマン版『くるみ割り人形』について簡単に説明すると、
==
主人公はマリーという女の子で、ドロッセルマイヤーおじさんからクリスマスのプレゼントにくるみ割り人形をもらいます。くるみ割りを助け、愛したマリーですが、お礼にくるみ割り人形にお菓子の国に連れて行ってもらい、夢のような時を過ごしました。それは夢と思われましたが、後日、ドロッセルマイヤーおじさんの甥っ子と名乗る男の子が尋ねに来て、自分はくるみ割り人形本人でマリーを迎えに来た、と言ったのです。マリーは人間になった彼の手をとり、お菓子の国に行って彼は王様、マリーは女王様となるのでした。
==
という感じです。これはめちゃくちゃ端折った簡単なあらすじで、類似点を分析するにはさらに細かい部分を説明する必要があります。
『君たちはどう生きるか』と『くるみ割り人形』のストーリー・シーンの類似点について。
まずドロッセルマイヤーおじさんですが、これは作者のホフマンをモデルとしており、主人公のマリーはホフマンの友人の娘マリーをモデルにしていると言われています。
このドロッセルマイアーおじさんが曲者で、本当か嘘かわからないことを言ったり、柱時計のフクロウかと思うといつのまにか人間になっていたりします。
・鳥かと思ったら人間
は類似点ですね。
ドロッセルマイヤーおじさんは、マリーだけにくるみ割り人形の悲しい過去について語ってくれます。(これは本来ならもっと後に判明する話なのですが、分かりやすさ重視でここに書きます。)
ある王国のお姫様が、ねずみの女王に呪いをかけられました。そこで時計職人のドロッセルマイヤーという男が王様の命令で呪いを解くことになったのですが、それには条件を満たす人間が必要でした。(この時計職人は、言いづらいだけで、ドロッセルマイヤーおじさん本人のことだとマリーは気が付きます。)
・時計モチーフ(『君たちはどう生きるか』では眞人の部屋の時計がアップで映ります。)
・こちらの世界とあちらの世界で同一人物の人間が居る。
が類似点です。
時計職人(ドロッセルマイヤー)が姫様の呪いを解く条件を満たしている人間を探していたところ、自分の甥っ子が条件に合致することに気が付きました。呪いを解いた人間は姫と結婚できる約束でしたし、甥っ子を連れて城に戻りました。
ところが、甥っ子は姫にかけられた呪いを解く際にねずみの女王を倒してしまったため、ねずみの呪いでくるみ割り人形に変身させられてしまったのです。姫の呪いは解けましたが、姫はくるみ割り人形になってしまった甥と結婚することはなく、ドロッセルマイヤーおじさんはくるみ割り人形とともに城を去るのでした。
その後も、ねずみの女王の子孫である、ねずみの王様(頭が7つある)が、くるみ割り人形の命を狙いにやってくるわけです。ねずみの王様がねずみの兵隊を連れた姿は、『君たちはどう生きるか』のインコの王様とインコの兵隊の姿にとてもよく似ています。
・王様、兵隊
が類似点です。
ねずみの王様とくるみ割り人形はマリーの家で争いになります。その時マリーはくるみ割り人形を助けるためにねずみの王様にくつを投げつけ、腕を痛めて床に倒れ伏します。そのまま意識を失うのですが、目を覚ますとマリーは自分のベットに横になっていて、外科医の先生と母親がそばにいるわけです。
そこでねずみとくるみ割り人形の話をすると、おかあさんは 夢でも見たのかしらというふうでちょっと相手にしてもらえません。あなたは夜中誰も見ていないときにガラス戸棚に肘があたって腕を切ったのよと言われます。
・外科医が必要なケガをして目が覚めたらベットだった。さきほどあったことを話しても夢だと思われる。同じ展開ですね。
ねずみの王様は夜な夜な、マリーのもとに表れて、くるみ割りをかじって欲しくなければ、お前のお菓子や服をよこせと言い、マリーが朝起きると本当にねずみによってマリーのお菓子や服が食べられてしまっています。
・アオサギが眞人のところに来て、眞人に嫌なことを言うシーンによく似ています。この辺からかなり"現実"と"幻想"があいまいになってきます。
ある日、くるみ割り人形が目を覚まし、マリーへ感謝を伝え、ねずみの王様との決着のために剣が必要だと話します。マリーは兄弟に事情を話し、兄弟のおもちゃの兵隊の剣を譲り受け、それをくるみ割りに渡します。かくしてその剣のおかげでくるみ割りは7つの頭をもったねずみの王様に打ち勝つことができたのでした。
そのお礼にくるみ割りはマリーをお菓子の国に招待します。このお菓子の国は、マリーのクローゼットのコートの袖から入ることができるのですが、『君たちはどう生きるか』でもクローゼットにあった棒を使ってアオサギと対峙したり、その棒がそのまま残っているかどうか、クローゼットを開いて確認するシーンがあったりして、かなり重要なモチーフになっています。あと、眞人が大伯父に会うときに開いたドアもちょっとクローゼットと引き出し風だと思いました。これは流石に考えすぎかな。
・重要モチーフ クローゼット
お菓子の国でマリーはとてもすてきな時間を過ごしました。そして目が覚めたあと、周囲からはそれは夢と思われましたが、彼女の手元にはねずみの王様が被っていた7つの王冠も残っていました。
・眞人の手元に石が残っていたのと似てますね。
そしてドロッセルマイヤーおじさんの甥っ子という男の子が尋ねに来て、自分はくるみ割り人形本人でマリーを迎えに来た、と言い、彼女はお菓子の国の女王様となるのでした。
ここで結構不思議なのは、「マリーが現実の世界から離れて行った、『お菓子の国』ってなんなの?」ということです。
実は現実のホフマンの友人の娘マリーは病気がちで若くして亡くなっています。そしてそんなマリーに向けてこれが書かれたということは、
・お菓子の国とは、亡くなったマリーがハッピーエンドを迎えられる別世界なので、生前・死後の世界と言って良いと思います。
おじさま(ホフマンでありドロッセルマイヤーおじさん)は若くして亡くなったマリーのために、特別な世界を作ったわけで、
『君たちはどう生きるか』のラスト、崩壊していく世界でヒミが「おじさま、ありがとう」と言った時、私は、ホフマンが子供のために物語を作った意味があったなと思いました。宮崎駿監督が子供たちのために世界(物語)を作っていたことにも通じるなと。
『不思議の国のアリス』と絡めて混乱するくらいなら、『くるみ割り人形』を読んだ方が良い!と色んな人に伝えたくてこの記事を書きました。
あとは、「宮崎駿監督のリミッターが外れるとこのような表現になるのだ」と言っているような人も居たので、いや、それはホフマンへのオマージュなんだよ、宮崎駿監督は相変わらず、人に伝えるための丁寧な表現を心がけているんだよということも言いたくて書きました。
作品が難しいなと感じた人のために、ちょっと参考になれば嬉しいなと思います。
<参考>
※三鷹の森ジブリ美術館企画展示「クルミわり人形とネズミの王さま展」当時のファミ通の記事。
宮崎駿監督“引退後”の初仕事 三鷹の森ジブリ美術館“クルミわり人形とネズミの王さま展”をリポート - ファミ通.com
原作の細かい箇所の確認については、中央出版株式会社さんの『くるみ割り人形』(作:E.T.A.ホフマン 絵:サンナ・アンヌッカ 訳:小宮由)を参考とさせていただきました。マリメッコのデザイナーとして活躍するサンナ・アンヌッカによる挿画が魅力の素敵な本です。
*1:『三銃士』の作者
サウナイキタイ×3COINS
サウナイキタイと3COINS のコラボ再び!
私はまだビギナーのサウナ通いなので、気に入ったキーホルダーを購入した。
・【サウナイキタイ】サウナチャンスキーホルダー¥330(税込)
ガチャガチャとか大好きなので、このコロッとしたフォルムがとても可愛いと思った。
(銭湯のロッカーキーモチーフらしい。)
今回これを買いに3COINSに行ったら、普段は居ないような会社帰りのサラリーマンのような風貌の男性を見かけた。普段行かない店と好きなジャンルがコラボしていると嬉しいよな。わかる。
明治『おいしい牛乳』はこぼさない。
今週のお題「こぼしたもの」。ここ数年、牛乳をこぼすことと無縁だ。なんでだろうな・・・と思って冷蔵庫を開いたらその答えがあった。
明治おいしい牛乳って蓋式になってるからだ!。
考えてみたら、昔はなぜか開けるべきではない方向から牛乳パックを開ける家族が居て、いつもボサボサの注ぎ口から牛乳を注いで、こぼしていた。
ここ数年はそういう不快感と無縁だなと思ったら、自分が購入している牛乳のおかげだった。高いだけある。
ちなみにおいしい牛乳は結構なみなみに入っているので、新品を買ってすぐに蓋を開けて注ぐと、こぼれるというレベルではなく、勢いよく出てしまうことがあるので今後も注意したい。
藤井風を中心とした、懐かしい洋楽と、その宗教のはなし。
少し前、週刊誌の記事により藤井風の宗教色が話題になったが、まさにその時、私は藤井風を理解するために、赤松明彦 京大名誉教授著の『ヒンドゥー教10講』を本屋で買って読んでいた最中だった。
私は藤井風の音楽について、ずっと下記のように思っていた。
- 歌がめちゃ上手い。
- 音楽が1960年代~1970年代の洋楽の影響を受けていて、私個人、親が洋楽好きだったので親しみやすい。(ビートルズ、マイケル・ジャクソン、ビリー・ジョエル等)
- 歌詞が理解できない。
→この「歌詞が理解できない」は「お前なに言うとんねん」とかのネガティブな意味ではなく、 「多分私に問題があって、藤井風のとある繊細な部分がわからん」のかもしれんな、
というようなレベルのものだった。
そういう気持ちを持っていたある日、藤井風の大ファンの知人から、サイババと藤井風の関連性を聞いてなるほどと思った。つまり「私に問題があって、藤井風のとある繊細な部分がわからん」と思っていたのは正しかったということだ。
私はそもそも宗教的知識と他人の宗教を尊重する気持ちはある方だが、自分自身の信仰心が低いことを自覚している。(人の宗教を尊重しているぶん、自分に信仰が無いと理解するのはちょっとショックな話ではある。)
そのため、「ヒンドゥー教について勉強してから藤井風を聞けば、もっと理解できるのはないか!」と思い、ネットで初心者によさそうな本を探して、本屋で購入したのが赤松先生の『ヒンドゥー教10講』である。
つまり、心で理解できなければ知識で理解しようとした。
実際、この効果はかなりあり、今までよくわかっていなかった曲のひとつである『何なんw』が自分自身に問いかけるような、とてもインナーな会話だということに気が付いた。
これを一大発見と思って、別の藤井風ファンに伝えたところ、「え、まじで今までわからずに聞いてたの?」というような反応だった。わからずに聞いてたのよ・・・。
本を読んで私は、「やっぱり藤井風は1960年代~1970年代の洋楽の影響を、音楽の面だけでなく内面からも受けてる」と思った。
藤井風は両親の影響で洋楽を聞いていたようだが、私も親の影響でずっと洋楽文化のなかで育った。幼少期に食卓でビートルズのドキュメンタリーを見たり、今は無き『ジョン・レノンミュージアム』にも行って遊んだりしていた。
なので、藤井風とヒンドゥー教について感じたのは、幼い頃ドキュメンタリーで見た『インドでヨガをするビートルズ』、『日本で座禅を組むクイーン』に近い懐かしさだった。
もっと最近の曲だが、U2の『I Still Haven't Found What I'm Looking For』も好きだ。U2と宗教というのは切り離せないものであり、メインテーマである。
カトリックの父とプロテスタントの母の間に生まれたU2ボノの神と宗教についての葛藤の音楽を、ビートルズとクイーンのそれと一緒にするのはなんかちょっと違うような気もするが、それだけ洋楽と宗教というのは身近なテーマだと思っている。
なので洋楽ロックについて外側の音楽性だけでなく、内側の精神性からも影響を受けて、それを実行している藤井風は堂々と『洋楽の影響を受けています』と言うことのできる世界レベルのアーティストだなと思った。
参考にさせていただいた、赤松明彦先生の『ヒンドゥー教10講』については、専門書なのに高圧的な部分が無く、とても丁寧で優しい口調で書かれており、実際に授業に参加しているような良さがあった。そもそもインドと日本の価値観が違うため、内容自体はかなり難しいところもあるが、私みたいに、何も知らないがヒンドゥー教について知りたいという人には、おすすめである。
ちなみに、内容にヒンドゥー教のバクティ(神への信愛)の描写があり、感謝を天に戻す浮遊感のような信仰の感覚、何かで見たことあるなと思った。多分Coldplayの『Hymn For The Weekend』だ。
めちゃくちゃ直訳すると、『週末への賛美歌』。Coldplayはちょっとヤバいくらいの超高学歴バンドなので、私がバクティだと感じたように、インドの宗教観を正確に理解したうえで作っていた可能性はあると思う。なんでもできちゃうバンドだなー。
そういえば、前述の通り、親の洋楽好きの影響で幼いころ、『ハードロックカフェ』に何度か食事に行っていたが、創業者がサイババの熱心な信者で、店内にもその影響があることは、流石に幼すぎて過ぎて知らなかった笑。やはり音楽と宗教って身近だなと引き続き思っている。
タレを入れてから、かき混ぜますか。かき混ぜてから タレを入れますか。
今週のお題「納豆」。あなたは、タレを入れてから、かき混ぜますか。かき混ぜてから タレを入れますか。
パートナーと一緒に住み始めたころ、わりと仲睦まじくやっていたのだが、夕食中に突然「何してんの?」と言われた。
私が納豆をかき混ぜる前にタレを入れていたからだ。
彼は納豆というものはかき混ぜてからタレを入れるものだと言う。
ええー??かき混ぜてからタレを入れたら、もう一回かき混ぜないといけなくて二度手間だろうが。
彼が、一度かき混ぜてふわふわになった納豆にタレを入れて再度少し混ぜた。
そしてそれを私にくれた。「ほら、味も絶対こっちの方がおいしいよ」と言う。
味なんか変わるかいと思ったが、たしかに味はまったく違った。
食感は驚きのふわふわ。なんかボリューミーになり、香りがダイレクトに来る。
タレを入れてから、かき混ぜるのと、かき混ぜてから タレを入れるのでは味が違う。大発見だ。
「うん、これもまた美味しい」とは言ったが、
私は今でもタレを入れてから、かき混ぜる派である。
かき混ぜてから タレを入れると、思っていたのと違う味がする。「なんか私が思っていた納豆じゃないぞ!?」と味覚が脳に危険信号を送るのでそれを避けるためだ。
ちなみに、納豆には鰹節と七味を入れるのが美味しい。
七味はできれば京都の七味家本舗のやつが良い。
温泉とサウナの話。
私のパートナーはもともと温泉が好きな男だ。
それが今や毎日サウナの話である。
まずは温泉についての話だが、我々お気に入りの温泉は三重県にある神馬の湯。
ここが超すごい。
温泉の数も多いし、岩盤浴も何種類もある。
温泉は男女別だが、岩盤浴は館内着で入れるので、男女一緒にのんびりできる。
温泉→岩盤浴→温泉と繰り返していたら、丸一日経っていた。
2021年のことなので、現在では多少中が変わっていることもあるかもしれないが、
綺麗で、居心地の良い最高のスーパー銭湯という感じだ。
神馬の湯に思いを馳せながら、日々生きてきた。
もともとスーパー銭湯や温泉は大好きだったが、
神馬の湯を体験してからはなかなかほかの所に行く気にならないくらいだった。
そこでサウナが出てくる。
私の兄は高学歴だが馬鹿なので、
「サウナが好きなんだ。前日飲んだ酒が残っている状態で入る『二日酔いサウナ』は最高だ」と言っていた。(真似しない方が良い。)
そのころは、私自身それを聞いてもふーんっていう感じだったのだが、
私の好きなVtuberであるピーナッツくんが投稿しているサウナレビュー達が面白くて、
サウナに行ってみたいなという気になっていた。
そこでサウナ初心者でも大丈夫そうで、とても綺麗そうなサウナ、ネットで話題になっていたROOFTOP西荻窪に行ってみた。
コワーキングスペースも兼ねているカフェも綺麗だし、サウナも綺麗!
女性側のサウナは入ってみるとYoutube等で見ているのとは違い、すこし小さ目のサウナで
あー。あれは男性用側だったんだなーというのはあった。
ただ、何者にも邪魔されないストレスフリーな状態でサウナを楽しみ、出たときにお肌がツルツルになっているのは格別であった。
あとから夫に聞いたら、男性用サウナは女性用サウナより大きいにも関わらず、平日でもかなりの人数のようだ。
それと比べると女性側は男性用サウナよりも小さいにも関わらず、利用者が少なめでスペースには余裕があったので、男女で全然需要が違うなと感じた。
これが温泉だと、女子旅とかいって、逆に女湯だけちょっと浴槽が多いとか、サービスが多いとかがあったのに、サウナだと男女逆転し、男性専用サウナ施設もあるくらいである。
別の国に行けば、浴場というとサウナの国もあるくらいで、同じ風呂なのにこの違いはちょっと面白い。
女性の需要が増えれば女性向けのサウナも増えるだろうなとは思う。
ただ、女性向けのサウナってなんだろう。(そもそも男性用が多いのは除いて)綺麗で清潔でおしゃれであること???
いや、これは女じゃなくても皆希望しているだろ!!
ピーナッツくんや、渋谷にあるサ道の著者、タナカカツキ先生のサウナの映像を見ても
やっぱり男性も『綺麗で清潔でおしゃれでプライベートが守られている』のって嬉しいことなのだなと思った。
それって人間だったらそりゃ『綺麗で清潔でおしゃれでプライベートが守られている』うがサウナじゃなくても何の施設でもよいに決まっているのだが、
わりと『男性向け』とされている施設では見過ごされてたというか、男なら少々汚くて寂れててもヨシ!みたいな風潮もあったなあと。
夫は所謂「男なんだからこれぐらい我慢しなさい」にはNOを出す人なので、本当に綺麗で居心地の良いROOFTOPが気に入ったようだ。
初めて行った時から、友人や周りに「サウナは良いぞ」と言うマシーンになっている。
ネットで見かけるサウナーがネットでよく言う言葉を発していて、それが夫なのが興味深い。
ちなみに、ROOFTOPと同じ会社さんが吉祥寺にもっと大きいのを作るらしい。その名も『MONSTER SAUNA』だ。
女子高生時代、吉祥寺周辺をプラプラしていた私にとっては、
「これサイゼリアのあるビルじゃん」という感想の方が先に来るのだが、
あの古いビルに綺麗なサウナができると思うと感慨深い。